OBOG訪問室~優奈さん~
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“優等生”でいなきゃ―拒食症を乗り越えたビジュアルアーティストの再生と創作

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完璧を目指し、優等生であろうと自分を追い込んできた優奈さん。中学校時代から始まったその生き方は、思春期のストレスや環境問題への関心から厳しい自己管理へと発展し、拒食症へと繋がっていった。留学先で孤独と不安を抱えながらも、アートを通じて自分を見つめ直した彼女の回復の道を語ってもらった。
この記事に紹介されている人のプロフィール
優奈さん・30代女性

高校生から徐々に制限型拒食の症状を抱え始め、留学先でのストレスを機に症状が本格的に悪化。帰国とともに徐々に寛解し、留学先で学んだアートを更に追及するため、もう一度留学してアーティストの道を志す。現在は自身の摂食障害の経験を活かし、ボディイメージやルッキズムをテーマにした作品も制作しビジュアルアーティストとして活躍中。

誰かにとっての「優等生」な自分

小学校時代はおおらかだった。けれど中学生になってからは、徐々に完璧主義が強くなっていった。

「中学校って、小学校と違って、制服があって、校則があって、みんな自分なりに生き残らないといけない環境じゃないですか。思春期が始まって、色んな新しい人間関係のストレスができてくる。クラスの中で落ちこぼれにならない、生き残るための方法みたいなものが、私にとっては常に勉強ができて、スポーツもできて、先生から信頼されて、クラスをまとめる責任感のある人物みたいな、そういう、優等生でいることになっていきました。」

日々「優等生」でいることのプレッシャー。

高校受験のストレスに加えて、環境問題への関心が、自分を拒食へと駆り立てていった。

「生徒会の一貫活動の一環で、ある国際協力機構に行ったんです。そこで世界の飢餓の状況や、食料廃棄の問題、そういう不平等について学んで、すごくショックを受けました。日本では食べ物がこんなに溢れていて、捨てられている…そんなのはダメなんだって思って、すごく私の中に怒りが湧きあがりました。そんな状況に対するある種の反抗として、自分は正しい食事の取り方をしよう、と思って。

そこから肉を食べない、粗食を無駄なく食べるということにこだわるようになりました。」

学校ではもちろん、社会の構成員としても「優等生」でいなくちゃいけない。

そんな思いから、自分に厳しい食事制限を課していた。

「受験が終わってからは、解放感で少しずつ食事が取れるようになっていって…その流れで、高校入学後は一度寛解したと思います。でも、そのあと留学に行ってまた再発しました」

身体をコントロールすることが唯一の逃げ場に

留学生活は、不安と孤独の日々だった。

「日中学校に行ってる時とかは、言葉もまだわからないし、授業もついていけないし、あとはもういろんなカルチャーショックがありました。クラスの子が大麻を吸っていたりとか、先生も全然やる気がなかったりとか…とにかく、日本で通っていた学校とは何もかも違っていて。寮で1人になった時くらいしか、心が落ち着く時間がなかったんです」

「学校でサンドイッチみたいなものが給食として出るんですけど、マヨネーズだらけで。とにかく食事が脂っこいんです。それを食べてしまうと、夜は怖くて何も食べられなくなってしまって…」

「誰ともコミュニケーションが取れなくて孤独を感じていた中、慣れ親しんだ食事さえ得られなくなって本当に寂しかったです。お米をどこで買えばいいかすらも分からなかったから、スーパーで見つけたタイ米で、必死におにぎりを作ろうとしたこともあります。でもポロポロしているので、全然作れなくて…泣きましたね。」

慣れ親しんだ人間関係も、慣れ親しんだ食事もなくなった中、唯一自分が自分らしさを感じられるのが「身体」だった。

「夜、ひとりで身体を触っていました。今日もちゃんと肋骨に触れる、両手で輪っかを作ったところに太ももが入るとか…そういう、手で触った自分の感覚に、今までの自分を見出して安心しようとしていました。抽象的な言い方になってしまうけれど、自分の輪郭を常に確認していたんだと思います。新しい環境で、今まで思っていた自分はこういうものだっていう感覚がすごく揺るがされて…だからこそ、自分の身体を徹底的にコントロールすることによって、自分を失わないようにしていたのかな、と」

慣れ親しんでいない、異国の食事を拒絶する。自分の身体を、自分自身でコントロールする。そんな風に「食べない」ことが、本来の自分らしさを保つことのように感じていた。

「8月夏休みに留学してきて、もう冬頃にはもうなんかダメだなって。その頃には自分が拒食症なんだって自覚はありました。」

「症状が本当にひどい頃は、トイレに行くのも怖かったんです。留学先では、公衆トイレが有料のところが多いので、利用するときは人に話しかけて許可をもらわなくちゃいけない。そういうやり取りをするのも怖くて、すごい対人恐怖になっていました。だから、トイレに行きたいときは道沿いにある茂みでしようとしたりしていて…その時に、自分の理性の中で「自分は異常だぞ」っていう風には思ってましたね。おかしいぞおかしいぞ、でもこうするしかないんだ…って思いつめてる、そういう時期がありました。」

心身ともに限界を迎えながら、どうしても「帰国する」という選択肢を自分に許すことはできなかった。

「とにかく、日本に帰ること。それが唯一の解決策として自分の中にもあったんですけど、1年前に取った飛行機の時期を早めることはどうしても出来なくて。留学した以上は、最後まで頑張らなきゃいけないんだって。最後の1ヶ月ぐらい、本当にもう病院に入ってた方がいい段階だったけれど、やっぱり最後まで強い、優等生でいることから逃れられなかったんですよね。」

スケッチブックに支えられて帰国、寛解へ

そんな留学生活を支えたのは、スケッチブックだった。

「自分の気持ちを言葉で言い表すことができないから、その代替手段として絵を描いていました。日記みたいに、毎日毎日。」

インタビューの途中、見せてくれた多種多様な絵。

そこには、自分で自分を抱きしめる彼女の姿や、食べ物がトイレに流れていく様子、自分を捕らえる箱から抜け出そうとしている自分自身が描かれていた。

「”病気なんだってことは自覚してるよ”…そう、この時ちゃんと自分のことを、病気だとは思ってたんですよね。」

絵の中には、帰国までの日数のカウントダウンや、自分を鼓舞したりする言葉を入れ込んでいた。

「帰国してから、ちょっとずつ食事が食べられるようになって、回復していきました。日本の食べ物なら大丈夫って、そんな感覚もありましたね。」

アートの道に再挑戦するため、再渡航

回復した自分で、再び表現の世界で挑戦したい気持ちを持ち始めた。

「回復する中で、自分の”優等生”という理想像が、完全に崩れたんです。割れた鏡のように壊れた自分の像を、もう一度貼り直していく作業をしていく感覚というか…こうあるべき自分、ではなくて、ありたい自分、というか…難しいですけど、自分の好きなことにフォーカスした選択とか、生き方とかを、ちゃんとしたいなって思いました。」

「だから、アートの道にもう一度挑戦しようと思いました。今度は自分1人で、自分の好きな時に好きな料理が作れるような、一人暮らし用のアパートを借りて。1回目はダメだったけど、今、症状がおさまって、自分が成長したから、今度はできるかも、と。」

再び戻った留学国。そこで出迎えてくれたのは、かつての同級生だった。

「精神的にも安定してから戻ってみたら、みんなすごく優しかったんです。学校のクラスメートとかが、私の描いてる絵を、すごくいいねって言ってくれて。辛い思い出しかなかった場所が、自分にとって安全な環境に変わりました。」

「最初の頃はやっぱり不安は多かったです。でも、大学に進学し、自分の絵とか、自分が生み出すものを評価されることで変わっていきました。制服の着方や振る舞い、成績、そういう誰かが決めた優等生の像に自分を合わせることによって存在価値を見出すんじゃなくて、自分が好きでやりたいことに集中した結果を通じて、周りと絆を築いていくことが大事なんだって。そういう風に、考え方が変わったんです。」

「多分、拒食症だった当時も、助けてって言えばクラスメイトは助けてくれる人たちだったと思うんです。今でもその1人とは親友で仲がいいんですけど…彼女からも、私が辛いとか言わないから、しんどいことに気が付かなかったって言われて。私の場合は、服装で体型を隠していたので、周りが気付くのも遅かったです。あの時はとにかく、この人たちはみんな私を助けてくれない人たちなんだって、自分からシャットダウンしていました。1度シャットダウンしちゃうと、殻に閉じこもって、拒食に走って痩せていって…もうそこから出るのすっごい大変だったんだな、って思います。」

摂食障害の原体験は、創作活動の原動力に

留学先で自分の孤独を支え、現在は職業として関わっているアート。今振り返ると、摂食障害の体験と自分の表現には、強い繋がりがあると感じている。

「拒食症の経験は、本当に大事な意味を持ってます。これがなかったら、多分今この仕事もしてないと思います。自分について、沢山考える機会でした。」

「いろんな自分が自分の中にあるっていうことがすごい大事なんだと気づけたんです。自分はこうあるべき、ではなくて、自分の中にいろんな自分がいて、それが共存していて良いんだよって思えたこと。そうして、一度は拒絶した異なる文化も自分の一部として大切にできるようになりました。」「身体についての表現も中心的なテーマになっています。例えば妊娠したら身体はすごく変わる。そんな風に、身体って常に、アメーバみたいに、周りと繋がり合いながら変わっていくものだと思うんです。でも私たちが日常的に目にするものって、全然それと反対ですよね。これが美しい身体なんだから痩せましょうとか、若くないといけないからアンチエイジングだ、って。電車の広告とかでそんなことばかり発信されていて。こんな中で生きるのは辛いです。身体はアメーバや植物みたいに、生きているから、その変化をある意味楽しむというか、興味深く観察する手段として、私は作品での表現を続けていきたい。」

今伝えたいこと

同じように悩む方に今伝えたいのは、「逃げても良い」ということ。

「例えば留学しているとしたら、早く帰国していいんだよって。留学や海外生活を控えている人は、期待や夢が大きいと思うんです。でも、コミュニケーションがうまくいかないことで落胆して、自信をなくして、大きな孤独を感じてしまうこともある。とにかく安全な場所にいることが1番大事だから、強がらずに相談してほしい。」

「私自身、当時は多分周りから何を言われても、意地を張って相談とかは出来なかっただろうなって思うんです。でも、実際に環境を変えることで状況は変わるので…すごい難しいんですけど、いつでも途中でやめていいんだよって思う。本当に自分に厳しくしすぎないで、優しくしようよってことを、伝えたいです。」

そして同時に、社会に対して知ってほしい、とも思う。

「海外で食事が変わるってことは、ただ日本の味が恋しいよね、みたいな、そういう軽い話じゃないんです。本当にもっと深い深いアイデンティティとして、慣れ親しんだ食文化との繋がりが断たれた時に、食べるのすらやめてしまうこともあるんだって、知ってほしいです。私は一例でしかないけれど、例えばネットで「拒食症 原因」とか調べると、型にはまったことばっかり出てきますよね。「痩せたい」という病的な願望から始まる…みたいな書き方が多いんですけど。痩せている身体がいいっていう社会的な圧力も勿論あるけど、それだけが原因じゃない。それを、知ってほしいです。」