「障害者の人が通う場所」 ー 自立訓練事業所への偏見
稲岡加那子(以下、稲岡):まずは、ななさんの経験を時系列に沿って伺っていきたいと思います。摂食障害になったきっかけについて教えていただけますか?
山本なな(以下、山本):舞台を目指していた時期があって、その頃は体型管理もちゃんとしていたのですが、だんだん自分にはこの世界で生きていく実力がないんだって思うようになって。その悔しさを唯一自信のあった体型で埋めようとしてしまって、そこからさらにダイエットにのめり込んでいきました。多分あの頃にはもう、ほとんど拒食症みたいな状態だったと思います。結局舞台はあきらめて、大学に行こうって思い始めた頃に、「もう自分を管理しなくてもいいや」ってどこか気が抜けたみたいになって、その反動で一気に食べるようになってしまいました。でも太ることが怖くて、下剤を使ったり過食嘔吐をするようになったのがその頃です。
当時はBMIが12~13くらいしかなくて、大学の授業にも出られないような状態でした。自分で初めて地元の心療内科に行ったんですけど、抗うつ薬をもらっただけで、症状が良くなることはありませんでした。学校にも行けないし、もうどうにもならなくなった時に、初めて母に打ち明けました。
稲岡:そこから専門の病院を受診されたんですね?
山本:母が探してくれた、摂食障害を専門としている心療内科に一緒に行って、そこで初めて「摂食障害」という診断を受けました。それまでは、自分でも「なんか変な事してるな」とか「ちょっと頭がおかしくなってるのかな」って感じてたんですけど、ちゃんと病名がついたことで「ああ、病気なんだ、病気のせいだったんだ」って思えて、少しだけ救われたような気がしました。
でも、専門の病院に通っても症状はなかなか良くならなくて、逆に体重がどんどん減って家に引きこもるようになってしまって。そんな時に、主治医から紹介されたのがベーシックアカデミーでした。「少しでも外に出るきっかけになれば」と紹介された場所でした。
稲岡:主治医から自立訓練を紹介された時はどんな気持ちでしたか?
山本:初めは正直、納得できないというか、すごく怒りの感情が大きかったです。「あなたはもう障害者です」と言われてるみたいな気がして。パンフレットにも「障害福祉サービス」や「障害者」と書いてあって、「自立訓練」という言葉もそれまで聞いたことがなかったので、なんだか馬鹿にされているような気持ちになって、すごく嫌でした。
稲岡:そうですよね。私もあれは書きたくなかったんですよね。ただ、制度上必要なので書いてあるんですが、できるだけ「障害者の人が通う場所」という印象を消したかったんです。ちょっと補足すると、障害福祉サービスは障害者手帳を持っている人だけでなく、うつで通院しているけど手帳は持っていないという人も利用できるので、それはぜひ皆さんにも知っておいていただきたいなと思っています。
稲岡:じゃあそうやって嫌々ながらも通い始めたわけですけど…(笑) 実際に通い始めて、どんな気持ちでしたか?
山本:通うって決めたものの、最初は本当に嫌々通っていました。頭のどこかで、「自分に甘えてるのかな」っていう気持ちもあって、家に引きこもって親に面倒を見てもらってるのが、許されないような気がしてたんです。だからとにかく通おうって思ったんですけど、ベーシックアカデミーで何かを学ぼうっていう気持ちは全然なかったです。別に学校でもないし、病院でもないし…って、どこかで強気な気持ちもあったのかなと思います(笑)
稲岡:なるほど!(笑) でもそんなに嫌だったのに、なぜ2年間通い続けられたんですか?
山本:周りの人に対して、申し訳ないなっていう気持ちがありました。何もしていないと状況は悪くなる一方だし、これといった改善策も見つからなくて。主治医に言われたことに取り組む気はあっても、結局うまくできてなくて。その状態がよくないことはちゃんと分かってたし、「ちゃんと何か頑張るつもりはあるんだよ」っていうのを人に伝えるために、とりあえず通ってた、っていうのが正直なところです。通院は週1回だったんですけど、先生が毎回「今週のベーシックアカデミーはどうでしたか?」って聞いてくれてて、病院とちゃんと繋がってるっていう安心感はありました。
稲岡:学ぶつもりはなかったってことなんですけど、実際どんなことをして過ごされていましたか?
山本:本当に嫌々通ってたので、職員さんも含めて、あんまり人と関わろうって気にはなれませんでした。プログラムにもほとんど参加しないで、一人でできることをやってました。フラワーアレンジメントをやってみたり、時間をかけてマフラーを編んだりとか…。とりあえず「行くだけ行く」って感じで、何もせずにぼーっとしてるだけの日もたくさんありました。
稲岡:ななさんは本当に手が器用ですよね。マフラーもすごく上手だったし、ラインストーンの作品なども作っていましたね。とはいえ今こうしてお話されていて、きっと嫌々来よう状態から、何かしら心境の変化があったと思いますが、どういう変化がありましたか?


「仮面のない自分」を受け入れる転機
山本:もともと摂食障害になったきっかけでもあるんですけど、見た目へのこだわりがすごく強くて、体型も服装も髪型も、自分の中で「完璧」って思えないと、外に出たくないって気持ちがありました。外に出ても、駅の鏡とかで自分を見て「やっぱりダメだ」って思ったら、そのまま家に帰っちゃう、なんてこともあって…。でも、ベーシックアカデミーの中では、自分と同じようなこだわりを持ってる人ってあまりいなくて、自分では納得いかない状態でも「かわいいね」とか「似合ってるよ」って褒めてくれるんです。それがすごく新鮮で、「なんか、今まで生きてきた世界とはちょっと違うな」って感じました。
みんな飾らずに、ありのままの自分を出していて、それをお互いにちゃんと受け入れて、認め合っている。それを見てるうちに、だんだん羨ましくなってきて、自分も少しずつ手を抜いてみようかなって思えるようになりました。もちろん最初は勇気のいることだったけど、そうしても周りの人たちは変わらず接してくれて、見方も変わらなかった。それで、「あ、別に完璧じゃなくてもいいのかな」って、すごく気持ちが楽になって。「仮面のない自分」を受け入れられるようになった気がします。
稲岡:「仮面のない自分を受け入れられるようになった」というのはすごく印象的ですね。ななさんが来所した当初は、全身お姫様のようなコーディネートだったんですよ。そんなななさんがいつかTシャツとジーンズで来る日が来ればいいなと思っていたら、本当に願いが叶って、クロックスを履いてほぼノーメイクで来られた日は内心とても感動しました…!
ありのままの自分を受け入れてもらえる環境が心境の変化に影響したとのことですが、振り返ってどのような支援が良かったと思いますか?
山本:私はあまりプログラムに参加してなかったので、もしかしたら私だけの話になるかもしれないんですけど…どんな自分でも受け入れてもらえて、変わらずに接し続けてもらえたことが、本当に大きかったです。一人でぼーっとしていても、「一人じゃないんだな」って思えるような空気を感じたり、何気ない雑談やちょっとした会話の中で励まされてるような気持ちになったり、疲れてしんどい時に、優しい思いやりのある言葉をかけてもらったりして。帰りの電車の中で、「今日、何やったかな」って考えると、「これ、ちょっと嬉しかったな」って思えることが、毎回一つ二つはあって。通うたびに、そういう小さな思いやりをもらってたんだなって思います。そういう時間が少しずつ増えていって、この人なら信頼してもいいかも、って思えるようになって、その人に悩みを話してみようかなって、自然に思えるようになりました。実際に相談したら、ちゃんと親身になって聞いてくれて、一緒に解決しようとしてくれて、支えてくれたりして…。「人に頼る」っていうことを覚えた、というか、ほとんど初めて知ったぐらいの感覚で。人とのつながりとか、愛情みたいなものを感じられたことが、私にとっては本当に大きな経験でした。
稲岡:うんうん、それが私たちの支援の核心部分だと思います。結局プログラムにできない、日常の何気ない会話の中で信頼関係を築いていくことなんですよね。相談してもらえたら具体的に助ける、ということも大切にしています。「つらいね」で終わるのではなく、実際に問題解決に取り組むことで「人に頼っても解決できる」という経験につながります。頼れるようになると心の重荷も軽くなってくるし、本来持っている健康な部分が動き出すんですよね。何かやってみたいとか、好きなことへの気持ちが出てくる。症状にとらわれていると普通の生活の楽しみを忘れがちですが、心の重荷が軽くなることで本来の自分が少しずつ出てくるんです。
では少し視点を変えて…通い始めてから、摂食障害の症状はどのように変化していったか、聞いても良いですか?
摂食障害と社会資源のリアルな話~「自立訓練」ってどんな感じ?~②へ続く
稲岡さんが所属されているBasic academyについてもっと知りたい方はこちらから↓
https://basic-academy.jp/