高校時代、ダイエットから始まった摂食障害
「小学生の頃から、体型のことは気にしていました」
同級生より2学年分ほど体格が大きかった私は、高校1年生のとき、クラスメイトの何気ない一言をきっかけに本格的なダイエットを始めた。
「男子が『太った子は嫌い』って話しているのを聞いて。当時付き合っていた人も『細い服が似合う女性が好き』って言っていて…」
完璧主義な性格も相まってダイエットはエスカレート。母親との約束で1日1800kcalという制限を設けても、その数字に縛られ過ぎてしまう。目玉焼きの油をティッシュで拭き取ったり、食べ物を細かく刻んで少なく見せたり。そうして体重は38kgまで落ちていった。
「周りの友人から『痩せすぎて怖い』と言われても、自分ではその姿が見えていなかったです」
そんな中、新たな強迫観念に襲われるようになる。
「私が食べないと、みんなが不幸になると思うようになりました。食べなきゃいけないけど、食べられないんですよ。」
その葛藤の中で私の摂食障害は深刻さを増していった。
30年間の紆余曲折 – 拒食、過食、そして自殺企図まで
その後の30年間、拒食と過食の間を行き来しながら、受験、就職、転職、結婚、育児、そしてオーバードーズによる自殺企図までを経験する。
「最初は拒食のみだった症状が、数ヶ月で過食へと変化していきました。下剤の使用も始まって。当時流行っていたダイエットティーを大量に使っていました。母に『食べてほしい』と言われて仕方なく食べていました。でも本当は食べたくなくて下剤で出す、その繰り返しだったんです」
結婚後も症状は続いた。特に妊娠中は過度なカロリー計算により体重が減少した。
「妊娠中体重が増えず、悩みました。そんな時、産婦人科の先生から『赤ちゃんは勝手に栄養を吸収するから大丈夫』と声をかけていただき、その言葉に大きく救われました。あの言葉があったから耐えられた、と今でも感謝しています」
育児中も、大変だった。
「夜中や休みの日、一人になると制御が効かなくなることもありました。菓子パン10個とカップ麺2個を一気に食べて、それから大量の下剤を使う。パソコンでゲームをしたり、食べたりと、自分でいられる時間でした。今思えば、そうやって自分を慰め、自分の存在を確かめていたんだと思います」
「過食の習慣は、私にとって生きるための儀式のようだったんです。だんだん、友人関係も怖くて作れなくなっていきました。夫は理解を示そうとはしてくれていたものの『なぜ病院に行っても治らないの?』という言葉を言っていました。」
過食と下剤の使用は、20代から40代まで続いた。
「外にも出られず、家の中でずっと過食を繰り返していた時期もあります」
転機となった「理解者」との出会い
大きな転換点は2年前に訪れた。仕事を通じて出会った先輩が、私の人生を変えることになる。
「高校時代、学校に行けなくて、その時間ずっと料理本を写していたんです。今までそれを『学校をサボっていた』って自分を責め続けてきました。でも、その方は『写経してたんでしょ』って言ってくれて。今まで誰にも話せなかった過去を、そう言ってもらえた時、すごく救われました」
その先輩は、様々な経験から私を受け入れてくれ、的確な言葉をかけてくれた。『あなたのやりたいようにやっていいんじゃない?』というその言葉は、長年の自責の念から自分自身を解放する一歩となった。
「子どものころから、誰かの力になりたいという思いを持ち続けてきました。でも、まだ十分にできていない。もっとできればという思いが芽生えだしました」
このような想いを抱いたとき、大きな決断をする。夫のもとを離れ、転職をするタイミングで転居を決意したのだ。
「新しい土地での生活を始めることにしたんです」
子どもの食の課題から見えてきた新たな気付き
また、子育てしていた時も、私に新たな気づきをもたらした。
「子供はミルクを拒否し、離乳食も受け付けず、食物アレルギーもありました。周囲の人からは『何グラム食べた』『体重が何グラム増えた』と気にかけてもらいましたが、最終的には『食事が美味しくないからなんじゃないのか?』と言われることもあり、辛かったです。私は調理師の資格も、言語聴覚士の資格も持っています。どうやったらこの子が食べられるものを出してあげられるのかと、ずっと悩んでいました」
しかし、段々と考えは変わっていった。
「子供が赤ちゃんのときは食べられるものが本当に限られていて。うどんと納豆と魚しか食べられなかったんです。でも、少しずつ頑張って食べられるように練習していって。アレルギーのこともあるし、食のこだわりもあるし、この子なりのペースでいいんじゃないかって思えるようになりました」
そして、子供が少しずつできることを増やしていく姿を見守るうちに、自分自身への視線も変化していった。
「この子は、この子でいいんじゃないか。そして、私も私でいいんじゃないか。今までの経験も、きっと無駄じゃなかったんだ」
「摂食障害があってよかった」という境地へ
現在、私は子供たちの発達に関わるの仕事に携わっている。
「摂食障害があってよかった、と今では思っています」
「確かに大変でした。何十年もかかるとは思わなかったです。でも、この経験があったからこそ今の仕事に就けているし、悩みを抱える子どもたちの気持ちも分かる。この道を歩んできたからこそ、今の自分があるんです」
カロリー計算は今でも続けているが、それを「自分の特性」として受け入れられるようになった。完璧を求めすぎず、うまく付き合っていく方法を見つけた。
「特性」として受け入れられるまで
「昔から『食べちゃいけない』『こんなことしちゃいけない』って罪悪感があって、自分を認められなかったんです。でも、子育ての経験と、理解者との出会いを経て考えは少しずつ変わっていきました」
今では、カロリー計算をすることも、自分の「特性」として受け入れられるようになった。「それが自分にとって必要なことだと認めて、場合によって代わりになるものを探すこともできるようになりました。今日おやつを食べたから、夕食を少し調整しようとか、そういう柔軟な対応ができるようになりました」
新境地での生活も始まった。
「誰の目も気にしなくていい場所で、自分のペースで食事ができる。それだけで、だいぶ気持ちが楽になりました」
本当に長い間大変だった。
「でも、この経験があったから今の仕事で子どもたちの気持ちも、より深く理解できる。ある意味、感謝しているんです」
「摂食障害で悩んでいる方がいたら、どうぞ話を聞かせてください。この経験を、どうか使ってください。結局、何がきっかけで自分の考えが変わるかなんて、わからないものですから」
のんさんとお話してみたい方へ
のんさんは摂食障害ピアサポート Ally Meの登録ピアサポーターとしても活動中です。
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