OBOG訪問室~なつきさん~
OB・OG訪問室

感情を言語化する力を得て ー 摂食障害と向き合い続けた軌跡

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家族の不仲、学業でのプレッシャー、自分への厳しさ。様々な要因が重なって摂食障害を発症し、その後長き間症状と向き合ってきたなつきさん。感情を言語化することの難しさから、徐々にその力を獲得していく過程で、自身の経験を意味づけ、誰かの希望になりたいと考えるようになった彼女の歩みを追った。
この記事に紹介されている人のプロフィール
なつきさん・20代女性

14歳から拒食、18歳頃から過食、24歳頃から主に過食嘔吐の症状を経験。現在も症状を抱えつつフルタイムで就業中。
摂食障害を抱えながら部活動やバイト、就職、一人暮らし、恋愛など様々なイベントを両立してきた。学生時代にやっていた吹奏楽を現在も続けており、休みの日は練習をしたり、友達と出かけたりして過ごしている。
*ピアサポーターとしても活動中。なつきさんとお話してみたい方はピアサポートサービスAlly Meページからお申し込みください!

「頑張らなければ」から始まった摂食障害

「中学生の頃は、何か頑張らないと存在してはいけないという気持ちが強かったんです」

両親の不仲や、母親の疲れた様子を見て『迷惑をかけたくない』という思いから、自分の気持ちを押し殺して生活していた。

「母は仕事と家事の両立で子どもの私からみて、疲れているように見えました。だから自分がしんどいとか、寂しいとか、本当はこうしてほしいという気持ちがあっても、それを言えば母の負担が増えてしまうと思って。自分でなんとかしなければと思っていました」

「成績をもらうときの三者面談で、私はいつも泣いていました。自分の中で良くなかったから。誰かに言われたわけではないのに、頑張れていない、結果が残せていないと駄目だって、自分で思い込んでいたんです」

そんな中、食事制限を始めたのは中学1年生の冬から2年生の春頃。当初は単純なダイエット目的だったが、体重が減ることへの達成感と、周囲からの心配を得られる体験が重なり、次第に制限は強くなっていった。

症状が重くなり、半年以上の入院を経験することになる。

「体の状態が本当に悪くて、精神科の病棟では受け入れてもらえず、小児科での入院になりました」

「入院した意味はあったと思います。そのとき入院していなければ、たぶん死んでいたと思うから。でも、その後、精神的に調子が悪くなるたびに『なんであのとき助けてくれたんだろう』と思うことがありました。私はそれを望んでいなかったのに、と」

大学時代の転機:過食への移行と新たな苦悩

大学進学後、症状は過食へと移行する。

「飲み会に参加したり、友達と食事に行ったり。最初は食べることが楽しかったんです。でも、あっという間にその楽しさは消えて、気づいたら食べ過ぎてしまうんです」

「大学での生活自体は充実していました。児童養護施設でのボランティア活動をする部活に入って、素敵な仲間たちと出逢ったり、バイトで忙しくしていました」

しかし、その一方で過食の症状は徐々に悪化していった。

過食は体力的な消耗だけでなく、精神的にも大きな影響を及ぼした。

「自分でも自分をコントロールできない無力感があって。見た目も変わってきて、人に会うのが怖くなりました。大学3年生の頃には抑うつ状態になって、休養という目的で入院しました」

感情との対話を学ぶ

転機となったのは、入院先で主治医から言われた「自分の感情に気づきましょう」という言葉だった。

「最初は全く意味がわかりませんでした。そもそも感情って何ですか?というところからのスタートでした。それまでの私は、つらい出来事があると『死にたい』という言葉でまとめて表現していたんです。その間にある感情、例えば寂しさとか悲しさとか、そういった感情を全部スキップして。いきなり『死にたい』という言葉になっていました」

感情を表す言葉を一つひとつ調べ、自分の中にある感情を言語化する努力を続けるうちに、少しずつ変化が現れ始めた。

「最初は本当に意味がないと思っていました。でも主治医に言われ続けるから、仕方なくやってみていました。担当の医師が代わっても言われるので、それしかないのかなぁと思いつつ続け、今は大分自分の感情を言語化するのが得意になりました。劇的に変化した!という感じはありませんが、自分の感情を言語化することができるようになってきてからのほうが、摂食障害の症状や精神的な不調は減ったような気がします」

一人暮らしという選択

社会人になって家族と些細な喧嘩と入院が重なりました。両親には知らせずに入院したのですが、両親からの連絡が全くなかったことに深く傷つき、一人暮らしを決意。

「親は多分、どう接していいかわからなかったんだと思います。でも、そのとき私は自分がしんどすぎて、親の未熟さを受け入れられませんでした」

一人暮らしは過食嘔吐の症状を悪化させる面もあったが、同時に現実的な課題も突きつけた。

「お金もかかるし、ゴミ捨ても面倒。こんなことをいつまで続けるんだろう、と考えるようになりました」

「今では、親とは他人同士という距離感で付き合っています。期待もしないし、期待しないからそんなに傷つくこともない。物理的な距離があることで、逆に落ち着いた関係を保てているのかもしれません」

「隠したい過去」から「糧にしたい経験」へ

大きな転換点となったのは、同じような経験を持つ仲間との出会いだった。

「精神疾患があっても、やりたいことをやっていたり、輝いている人たちに出会ったんです。摂食障害だからどうこう、ではないんだな、と思えるようになりました」

以前は誰にも話せなかった摂食障害の経験を、徐々に開示できるようになっていった。

「今では摂食障害を抱えつつも、以前よりなんとかやれるようになってきたような気がします。うまく付き合えるようになってきた感じです。大学時代の友達にも、実は摂食障害だったんだよ、と話せるようになりました。食事の場面で気を使われるのが嫌で、ずっと言えなかったんです。でも今は、自分の状態をちゃんと説明できるようになって、相手にどうしてほしいかも伝えられるようになったので、摂食障害のことを開示できるようになりました」

これからの展望:ゆるやかな希望を抱いて

私の経験が誰かの希望になれたらとは思います。ただ、それは重圧になるような目標設定ではない。

「期待しすぎると、それに応えようとしてしまう。だから、ふんわりとした希望でいいと思うんです。病気になったからこそわかることもある。病気になったからこそつながれた人もいる。せっかくなったなら、何かに活かせたらいいな、と思うようになりました」

過食嘔吐の症状は今も完全には消えていない。しかし、その捉え方は大きく変わった。

「今は、症状だけを何とかしようと躍起になることはなくなりました。治ったらいいなという思いは持ちつつも、無理に変えなければと追い詰めることもない。ストレスや疲れで症状が出ることもありますが、それも含めて自分なんだと受け止められるようになりました」

感情に気づき、言語化する。その作業は今も続いている。

「昔は感情を言葉にすることなんて本当に意味がないと思っていました。でも、それが自分を理解する大きなきっかけになったし、人に自分の状態を伝える時にうまく伝えられるようになりました。私は自分の感情に気づき、言葉にすることで今も回復し続けているように思います」

なつきさんとお話してみたい方へ

なつきさんは摂食障害ピアサポート Ally Meの登録ピアサポーターとしても活動中です。

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