“キラキラ”への執着が生んだ摂食障害
小さい頃から”できる子”として期待を集めていた。「父や祖父から『まいちゃんはよくできるから将来は○○大学だね』と言われて育ちました」
しかし中学時代、部活と趣味に熱中するあまり成績は急降下。半年の猛勉強の末、なんとか志望校に合格したが、そこからが新たな苦しみの始まりだった。
「スクールカーストの上位にい続けなければ」
進学校で過ごす日々は、常に周囲の目を気にする緊張の連続だった。
「具合が悪くても頑張っている自分を気にかけてもらいたかったんだと思います。特に、これまで厳しかった母が、優しくしてくれるようになったのが嬉しくて。だから、もっともっと頑張らなきゃ、どんなにつらくても絶対休んじゃだめだって思いました」
食事は、朝は豆乳かアイスクリーム、昼は飴かゼリー飲料、夕はジュース。そんな生活の中、当たり前だが体重はみるみるうちに落ちていった。
主治医との出会いが照らした希望の光
転機は高校2年生の春、大学病院の専門医との出会いだった。
「先生の言葉はとってもあたたかくて。『私は病気なんだ』『ようやく助かるんだ』って、心底ホッとしたことを覚えています」
学校側の配慮も手厚かった。
「主治医の先生が直々に学校にきてくれて、授業に出ると苦しくて教室を飛び出してしまう私の状況を、くわしく学校の先生に説明してくれたんです。それで、15分の出席でも授業参加として認めてもらえるようになったこともありました」
教科によって対応は様々だったが、養護教諭を中心に、可能な範囲での配慮を模索してくれた。
そんな支援者たちとの出会いが、将来の夢を育んでいく。
「お世話になった主治医や看護師さんと同じフィールドで働きたい」
インターネットで見つけた『精神保健福祉士』の文字が、新たな目標となった。
10年間の葛藤~「完璧」と「依存」の狭間で~
しかし、回復への道のりは簡単ではなかった。入退院を繰り返す中で、体重は大きく上下した。特に辛かったのは回復期の過食だった。
「人間の身体というものはよくできていて、長い間飢餓状態だった身体に栄養が入ると『食べられるうちにたくさん食べてため込もう』として、食べても食べてもお腹が空くそうなんです。気づけば体重は60kg超え。『こんな醜い体で学校になんて行けない』『こんなに太るなら死んでしまいたい』毎日が地獄でした」
大学進学後も苦しみは続いた。
「上京して憧れのキャンパスライフを送りたい気持ちと、病気を抱えての一人暮らしへの不安が葛藤していました。結局、地元の大学に進学することを選んだんですが、入学してからも『こんなはずじゃなかった』という思いが消えず、自分から周りと距離を置くようになっていきました」
結局、通信制大学への編入を選択。そこで再び拒食に戻ってしまった。「というより、戻りたくて戻ったという方が正しいかもしれません」
「卒業したら、働かなくてはいけない。大人にならないといけない。でも社会で自立してしっかりとやっていける自信はなかったんです。社会に出るのが怖くて、高校生の時くらい痩せたら『周囲の大人たちに守ってもらえた自分』に戻れるかもしれないと思っていました」
少しのおやつとサラダだけの生活が5年近く続いた。「キラキラした専門職になれないなら、病気を極めていたいくらいに思っていました。毎日ネットで痩せている女の子を探して、モチベーションを上げる。そんな0か100かの世界で生きていました」
底をつき、見えた本当の自分
転機は27歳の秋に訪れた。
長年の主治医から『今までまいちゃんのこと特別扱いしてきたけど、その結果こうして依存させてしまった。まいちゃんへの治療は間違っていたのかもしれない。お願いだからちゃんと食べて。じゃないともう診れない』と告げられた。
「正直、当時は『見捨てられた』と思い、大きなショックを受けました」
今思えば、拒食で脳が萎縮し、頻繁にパニックを起こすようになっていた私に対して、医師としての苦渋の決断だったのだと思う。
「絶望のあまり、おもわず自宅の窓から飛び降りてしまいました…」
奇跡的に助かったのだが、病院で治療する日々が始まると、不安でたまらなかった。
「次に手術をして目が覚めなかったらどうしよう。このまま歩けなくなったらどうしよう。HCUの中で、隣には今にも死んじゃいそうな人がいて、死を身近に感じたときに急に怖くなったんです。このまま治らなかったら、一生こうやってベッドの上にいるのか…。そう考えたとき心の底から『治すしかない』って思いました」
その選択は、華々しい決意というよりも「諦め」という感情に近かった。
「そんな綺麗な感じじゃなくて。それまでの私は、家族と医療スタッフだけのすごく狭い世界で生きていました。でもそれも無くなっちゃって。死ぬことが唯一の解決法だと信じてたのに、死のうとしたら死ねなかった。なら仕方がないから生きるしかない、生きるしかないなら治すしかないなって思ったんです」
支援する側になって~諦めが教えてくれた等身大の幸せ~
現在は、ソーシャルワーカーとして働きながら、摂食障害のピアサポート活動にも携わる。
「病気になったばかりの頃は、治ったら素晴らしい世界が待っているような夢を見ていました。でも現実はキラキラした世界なんてどこにもないし、完璧な人間になんてなれないんです。」
今でもストレスがかかると「食べたくないな」と思うことはある。でも、それも過去の経験から、身体からのサインとしてしっかり受け止められるようになった。
「長年飢餓状態だった身体が学習したのか、1食でも抜こうものなら低血糖症状を起こすんです。1食くらい許してよって思いますけど(笑)」
今はまだ『摂食障害になってよかった』と胸を張っては言えない。
「一時期は『命を落としてもいい』と本気で思っていましたから。それでも、摂食障害という経験や、それを通して得た夢や目標、人との出会いは間違いなく私の大切な宝物であり、誇りだと思っています」
結局、キラキラした世界なんてなかった。
「けど、かっこ悪くても泥臭くてもいい。必死で生き抜いて行く方がよっぽどかっこよくて私らしいなって思えるようになりました」
まいさんとお話してみたい方へ
まいさんは摂食障害ピアサポート Ally Meの登録ピアサポーターとしても活動中です。
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