OBOG訪問 ほのかさん
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「痩せたら人気者になれる」中学生の願いから始まった摂食障害との10年

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家庭や学校で居場所を見出せず「痩せて可愛くなって人気者になろう」と願ったほのかさん。中学時代には制限型拒食、高校時代には過食を経験。大学で出会った友人から「ありのままの姿でいても良い」と学び、徐々に回復へと向かわれました。自分を受け入れる中で見つけた、新しい生き方についてお話を伺いました。
この記事に紹介されている人のプロフィール
ほのかさん・30代女性

離島出身。中学時代に制限型拒食による入院、高校時代には過食を経験されました。高卒認定を取得後、大学進学を機に上京し、徐々に症状が改善。現在は広告会社で勤務されています。

子供時代の居場所のなさが引き金に

—— 摂食障害の症状が始まったきっかけを教えてください。

私は4人兄弟の長女で、2つ下の弟がソフトボールですごく活躍していました。家はほとんど弟中心で回っていて、学校ではクラスメートの中にうまく入っていけなくて、「自分の居場所がないな」と感じていました。クラスで人気な子は、コミュニケーション力が高いのに加えて、細くて可愛いイメージがありました。自分もそういう可愛い子になったら人気者になれるんじゃないかと思ったんです。だからこそ、中学で不登校になった時「痩せて、変わった姿で学校に戻りたい」という気持ちがすごくありました。

当時は親にそういう気持ちを話すことはなかったです。「中高生は何もしない方が可愛いんだから」みたいな価値観だったので、痩せたい気持ちを言ってもわかってくれないだろうなと思っていました。

体重が20キロ減少、3つの病院を転々とした中学生時代

—— その後、ダイエットなどを始められたんでしょうか。

中学生でダイエットをし始めてから20キロぐらい一気に痩せてしまったんです。それで親が心配して、病院に連れて行かれました。

最初は地元の島の小児科に入院したんですが、なかなか良くならず…。その後、総合病院に移って、最終的に市内の摂食障害専門の小児科の先生のところで入院することになりました。結局、3つの病院を回ったんです。入院してから、小児心療内科に行っていることが恥ずかしくて、「早く良くならなきゃ」という気持ちになりました。高校生になるから早く学校に行けるようにならないと、という感覚もあったと思います。

摂食障害の自覚はありつつ、周囲の反応にはモヤモヤすることがありました。私の「痩せたい、可愛くなりたい」という気持ちまで「病気の症状」として捉えられて、「モデルさんに憧れること自体がよくない」って言われたんです。中高生がそう思うのは普通だと思っていたのに、周りからは理解してもらえなくて。「摂食障害かもしれないけど、何が悪いの?」と思っていました。そんな思いを抱えながらも、症状がひどい時は水しか飲まないくらいだったのが、だんだん食事ができるようになって、退院することができました。

—— 高校時代はどのように過ごされていたんですか?

高校があんまり自分の行きたい高校じゃなかったんです。島で唯一の進学校で、校則も厳しくて、自分の性格に合ってないなと感じていました。でも親が、私に摂食障害の経験があるから島の外に出すのはちょっと…と思っていたのもあって、最終的にそこの高校に進学することになったんです。国公立大に進学しないといけない、安定した仕事に就かないといけない、のようなプレッシャーも校内にありました。もともとコミュニケーションがうまくなかったりしたのもあって、徐々に学校に行けなくなったんです。そのストレスで今度は爆食いして体重がどんどん増えて、学校に行けなくなって、留年することになって退学しました。

その時は、体重が増えたから外に行くのが恥ずかしいという思いもありました。将来のこともあまり考えたくなくて、ネットやゲームをして過ごしていました。周りも高校を辞めて現場の仕事についたり、フリーターみたいな人も比較的いたので、そこまで危機感がなかったのかもしれません。

地元の島を出てマスコミ系の学部進学へ

—— その後、高卒認定を取って大学進学されたとのことでしたが、どんなお気持ちでしたか?

1年くらい引きこもった後、予備校に通うことにしました。その時は「まともな人になりたい」という気持ちが強くありました。中退・中卒の状況が嫌で、なんとかしたいと思っていたんです。島から出れば少し良くなるかもしれない、そんな期待もありました。

高卒認定を取って大学に進み、英米文学を専攻しながら、ゼミでマスコミ系の分野を学んでいました。自分には普通の会社員は向いていないのではと思っていたのですが、映画制作やライター、マスコミ業界なら経歴をそれほど重視しないし、中退や挫折経験も比較的マイナスに見られないと聞いて、そういう方向を目指すようになったんです。

—— 大学時代、症状との向き合い方で変化はありましたか?

大学に入っても症状が良くならなかったので、「これは一回ちゃんと直さないと、ずっと続いてしまうかもしれない」と思って、初めて自分から保健センターの先生のところに行きました。大学生になるとみんなで食事をすることも増えるから、そこで食べられないとうまくなじめないこともあって…。普通にご飯を食べられるようになりたいという気持ちもありました。保健センターの先生はすごく良い方で、ちゃんと話を聞いてくれました。

あとは、大学で出会った友達の影響も大きかったです。その友達は、部屋が綺麗じゃない時があるとか、そういう面も他の人にさらけ出していて、周りもそれを受け入れている。この友達に出会って、「こういうふうに自分を出してもいいんだ」と思うようになりました。

元々は、他人や友達に自分の悩みを言うのが苦手で、色々抱え込みがちでした。でもある時、思い切って自分も「ご飯が食べられない時があって」みたいな感じで話したら、意外と周りも受け入れてくれました。「普通の人間だと思われなくて距離を置かれるんじゃないか」と思って言えずにいた高校中退のことも打ち明けてみると、「あんまりちゃんと学校行ってるイメージないわ」と笑って返してくれるような人たちだったんです。そんな風に自分のダメなところも含めて受け入れてもらえるようになってから、症状も治まっていったと思います。

社会人になって変わった自分との付き合い方

—— 社会人になってから、症状への向き合い方に変化はありましたか?

摂食障害の症状については、たまにやけ食いして、次の朝会社に行けなくなったりすることはありました。特に前の会社にいた時は忙しさもあって、家に帰ったらほっとしてたくさん食べちゃうこともあったんです。たくさん食べた後の数日はご飯を控えめにしたりもしてたんですが、すごく食べる日と食べない日が極端にあって、病気って言えないまでにしても身体には良くなかったと思います。

ただ、摂食障害とは別の理由で一度病院に行った時に、お医者さんに「しんどい時にやけ食いとかするのは全然普通のことだから、そういうのを病気って思って否定するよりかは、そういう日もあるよねぐらいで受け入れる方がいいのかもしれないよ」と言われて。その言葉があって「そういうこともある」と捉えられるようになりました。

—— 現在のお仕事には、ご自身の体験が影響していますか?

SNSを見ていると「ガリガリなほど美しい」というメッセージを伝えているアカウントがあったり、細いアイドルの体型みたいになりたいって発信している人たちがいて。その気持ちも分かるけど、細くあること自体に価値があるように捉えられるのはあまりよくないなと思います。

今は広告に関連する会社に勤務しているのですが、人を傷つけない表現にするとか、「モデルのような外見でいるのが素晴らしい」と捉えられない表現を選ぶとか、そういうところに過去の経験が反映されているのかなと思います。ルッキズムが加速している今の社会で、もっと平和なSNSを作りたいという気持ちもありますね。

同じ痛みを抱える人たちへ

—— 同じように悩んでいる人に向けて、伝えたいことはありますか?

摂食障害があったり、学校になじめないと感じている中高生で、「高校を卒業しないと、ちゃんと社会人として生きていけないんじゃないか」って思い詰めているような人がいたら、「いろんな道があるよ」「摂食障害があってもなんとかなるよ」と伝えたいです。

誰か1人でも「私もなんとかなるかも」って思ってくれたらいいなと思っています。

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