「ダイエット」のはずが、どこかおかしい
異変を感じたのは高校1年生の夏頃でした。
もともと「ダイエットをしている」と本人から聞いていたものの、一緒にご飯に行ってもほとんど食べない様子を見たり、アルバイト中に食事を摂らず倒れたことがあると聞いたりするようになりました。手足や背中の骨が目立つほどの痩せ方も見て、「これは普通の痩せ方じゃない」と感じました。
最初は「美意識の高いダイエット」だと思っていたけれど、倒れるほど食べない様子を知ったとき、はじめて「摂食障害かもしれない」と思いました。テレビで見たことのある拒食症の姿と、重なったのです。
最初は「やめとき」と言っていた
当初は「ダイエットやめとき」と声をかけていました。
けれど、「本人もやめたいのは分かってる、でも、やめられないのがこの病気なんだ」ということにある時気付いて、接し方を変えました。
やめさせることよりも、しんどい話を聞くこと、少しでも食べられたら褒めること、気分が落ちすぎないようにすること、そんなことを意識するようになりました。
「全部食べなさい」「半身浴や運動をやめなさい」と言うようなことや、行動を否定することも意識して避け、何よりも「突き放さない」ことを大切にしていました。
「太っても、私は離れない」その安心感があったから、食べられるようになったのではないかと思っています。
拒食が強かった時期は、「今日も生きているか」本気で心配していました。
一方、過食の時期には、急激な体型変化による本人の気持ちの揺れが心配でした。
どの状態であっても、もんちさんに対してはとても心配していました。
本当は、見守る側もしんどかった
高校に入りたての多感な時期。本当は私自身ももんちさんに話したいこと、相談したいことがたくさんありました。
けれど、会話の多くが「食事」や「体調」の話になっていきました。
「前のもんちさんに戻ってほしい」と思う気持ちと、その気持ちを抱く自分への戸惑い。
だからこそ、信頼できる第三者に相談するようにしていました。
本人が一番しんどいけど、周りも同じくらいしんどい。だから、周りの人のケアもすごく大事。
このことは、見守る立場の方にぜひ知っていただきたいと思っています。
読者の方へ伝えたいこと
摂食障害を持つ方の多くは、「食べたいけど食べられない」「食べたら太るのが怖い」そんな葛藤を一人で抱えています。
それを、誰かに言っていい。言っても嫌われない。その安心感を持てる関係性が、回復の土台になることがあります。
焦らなくていい。本人のペースで進んでいけばいい。そんな風に考えます。
そして、見守る側の立場の方も、ひとりで抱え込まなくていいと思っています。
「どう接したらいいか分からない」その迷いは、とても自然なものです。
「やめさせる」ことよりも、「そばにいる」こと。それが専門家でなくてもできて、当事者にとっても大きな支えになることだと思っています。
本人(もんちさん)からのコメント
拒食や過食に苦しんでいた当時、食事や体調の話ばかりしてしまって、「振り回して」しまっていたなあと、今になって考えています。
それでも、身体の調子のこと、何より「一緒にいても笑顔が少ない」ことを気にしてくれていたこと、そしてしおんさんなりに、「突き放さない」「そばにいる」ということを大切にしてくれたことに、改めて嬉しさを感じています。
「今日これだけ食べちゃったけど大丈夫かな」そんな話をしても「全然いけるよ」と肯定してくれたことも、強く記憶に残っています。
今、摂食障害当事者の周りで本人を支えている立場の方には、とにかくそばにいてくれるだけでとても嬉しい、そんなことを伝えたいです。
