久しぶりに会った友人は、驚くほど痩せていた
なつきさんとは、小・中学校を一緒に過ごした仲です。学校をよく休むようなタイプではないこともよく知っていましたが、そんななつきさんが、頻繁に学校を休むようになって、「あれ?」と思うことが増えていったのを覚えています。
心配になって、担任の先生に聞いてみたら、「今は保健室にいるよ。来られるようになったら教室に来るからね」と教えてもらいました。
その時は理由までは分からず、ただ「何か大変なことが起きているんだろうな」と思っていました。
ある日、先生が休み時間に彼女を教室に呼んでくれて、久しぶりに顔を見ることができました。嬉しくて駆け寄ったんですが……とても痩せていて、正直、びっくりしたのが本音です。
「何か大変なことがあったんだろうな」とは思いましたが、その時点ではそれ以上のことは分かりませんでした。
当時、摂食障害や心の病気については、言葉を耳にしたことがある、という程度で、「病気」としての理解はほとんどありませんでした。しかし、なつきさんの様子を見て、初めて「もしかして病気なのかもしれない」と意識しました。そこで初めて、摂食障害というものを「現実の問題」として知った感覚があります。
友達として、どこまで踏み込んでいいのか分からなかった
なつきさんのことはとても心配でしたが、それを本人に直接伝えることはできませんでした。どう接すればいいのか分からず、ずっと悩んでいたのです。
私なりには、なつきさんを傷つけないように、身体や見た目、食事のことには触れないように接していました。特別なことを言うよりも、これまで通り「友達」として接することが一番いいのではないかと。病気のことに踏み込まないことで、変わらない友達、安心できる存在でいたいと思っていました。
その結果、表面的には、これまでと変わらない関係を保てていたように思います。ただ、深い話をすることは少なくなって、会う頻度も減っていきました。
彼女がどう感じていたのかは分かりません。でも今振り返ると、「もう一歩踏み込んでもよかったのかな」と思うこともあります。
何があったのか、どんなことがつらいのか、といった踏み込んだ質問や、身体の状態については聞かないようにしていました。
聞いてしまったら、相手に余計な負担をかけてしまうのではないか、気にさせてしまうのではないかと思って。
結果的に、「触れないこと」が一番の配慮だと、どこかで思い込んでいた部分がありました。
正解が分からない中で抱えた、不安と無力感
何をしてあげればいいのか、どんな言葉が正解なのか、分からない、という不安は、常にありました。良かれと思った言葉や行動が、逆に傷つけてしまうのではないかという怖さもありました。
同時に、「自分は何もできていないんじゃないか」という無力感もありました。
当時は、傷つけないように、踏み込みすぎないようにと距離を取っていました。
でも今思うと、もっと話を聞く側に回ったり、「大丈夫?」と声をかけ続けたり、相談相手としてそばにいられたらよかったのかなと思います。
「何かしてあげなきゃ」よりも、「一緒に悩む」「話を受け止める」ことの大切さを、後になって感じました。
今振り返ると、当時は何も分からなくて戸惑っていたと思うけれど、それでも「気にかけていた」こと自体は無駄じゃなかった、と思っています。
完璧に支えられなくても、そばにいようとする気持ちだけで十分な場面もあったと思います。
同じ立場の人へ伝えたいこと
久しぶりに会った友人がとても痩せていて、正直ショックでした。でも、もし身近な人が摂食障害や心の病気を抱えていたとしても、「正しく支えなければ」と思いすぎなくていいと思います。
分からないまま悩みながら関わることも、距離感に迷うことも、決して冷たさではありません。
大切なのは、相手を一人にしない気持ちと、自分自身も無理をしすぎないこと。専門家ではない立場でも、「話を聞く」「否定せずに受け止める」ことは、きっとできる支えの一つだと思います。
本人(なつきさん)からのコメント
私は正直、摂食障害になった当時のことをあまり覚えていません。いつから学校を休みがちになったのか、その頃どんなふうに日々を過ごしていたのか、友達がどのように関わってくれていたのかも、記憶は断片的です。心身の状態が限界だったのだと思うようにしていますが、中学時代の時間が抜け落ちてしまっている感覚には、寂しさや悲しさもあります。
けれど今回インタビューを通して、あの頃の私を気にかけ、見守ってくれていた人がいたことを知り、空白のように感じていた時間に少しずつ輪郭が戻ってきたような気がしました。
私のことを思っていてくれたのに、それを覚えていないことへの申し訳なさもあります。それでも、何年も経った今の私の経験や活動を応援し続けてくれることが本当に嬉しいです。
当時の私は、結果を出せる時だけ存在していていい、あるいは体を壊して心配されることでようやく居場所ができる、そんな感覚の中で生きていました。でも今は、ある程度回復した状態の私とも変わらず繋がり続けてくれる人がいることで、「どんな状態の私でも、生きていていい」と少しずつ思えるようになっています。
