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“吐かない過食”は軽くない —わたしたちが向き合ったこと①

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「ただの食べすぎ」と思われたり、本人すらそう捉えてしまったりすることも少なくない”非嘔吐過食”。
このイベントでは、非嘔吐過食を経験した3人の元当事者に登壇いただき、それぞれのしんどさや回復までの道のりを、自分の言葉で語っていただきました。
この記事に紹介されている人のプロフィール
すんさん、ほのかさん、なつきさん

すん
20〜28歳ごろまで、拒食と非嘔吐過食に悩まされる。
摂食障害専門のカウンセラーによる認知行動療法を受けながら、環境やストレス要因の調整を図っていく中で症状が落ち着き寛解。
現在はコンサルタントとして就労中。

ほのか
中学生で拒食を発症し入院、高校では過食症を経験。不登校の時期を経て、
21歳で大学進学。大学生活を通じて徐々に過食症が改善。
現在は広告会社でコンテンツクリエイター・コピーライターとして勤務中。

なつき
14歳で拒食、18歳で非嘔吐過食、24歳からは過食嘔吐を経験。
現在も症状が残る中、フルタイムで総菜や加工肉の製造や販売の仕事をしている。

非嘔吐過食で特につらかったことは?

――まずは自己紹介をお願いします。

すん:すんと言います。今はコンサルタントの仕事をしています。大学2、3年の頃にダイエットをきっかけに拒食が始まり、痩せられてラッキーという感じでしたが、徐々に過食に移行していき、28歳くらいまで非嘔吐過食に悩まされました。大学院に戻ったり社会人をしたりという時期、研究や仕事のストレスで自分を追い込むように食べ物を詰め込むことが続きました。今日は非嘔吐過食ならではのつらさを話せたらと思っています。

ほのか:ほのかと申します。今は広告会社で働いています。中学生のときにダイエットがきっかけで拒食になり、一旦は回復しましたが、高校でストレスから非嘔吐過食が悪化し、中退しました。その後、21歳で大学に進学し徐々に落ち着き、今に至ります。自分の経験が少しでも参考になれば嬉しいです。

なつき:なつきです。中学2年のときに拒食になり、大学生になるまで続きました。その後、非嘔吐過食に転じました。その後過食嘔吐にもなりましたけど、うまく吐けず非嘔吐過食になる時もありました。今も症状と付き合いながら過ごしていますが、最近は少し落ち着いてきました。よろしくお願いします。

すんさん(今回はアバターでご登壇いただきました)

――非嘔吐過食で特につらかったことは何でしたか?

すん:一番つらかったのは体型の変化です。吐きたいけど吐けなくて、でも仕事や学業を頑張るために食べてしまう。その一方で体はどんどん太っていって、服が入らなくなったり、人に会うのが恥ずかしくなったりしていました。

ほのか:私も体型の変化はつらかったですが、一番は「今度こそ過食をやめよう」と思ってもやめられない自己嫌悪でした。少し落ち着いたと思ってもまた過食してしまって元通りになってしまう。どうして止められないんだろうという自己嫌悪が一番つらかったように思います。

なつき:私も体型の変化が一番つらかったです。拒食からの反動でどんどん太っていく変化に、自分自身が対応できなかった。周囲から指摘されることはほとんどなかったので、自分がその変化を受け容れられなかったのがつらかったと思います。

――「吐けないつらさ」はありましたか?

なつき:はい、私も吐きたくても吐けなかったです。どうやって吐くかもわからなかったし、どうやって吐けば良いのかという情報を手に入れてもなかなか習得できなかったのがつらかったです。

周囲の理解はどうだった?

――非嘔吐過食のことは、どれくらい周りに話していましたか?

すん:基本的には話していました。大学院の指導教官や、社会人時代には上司にも伝えました。職場のトイレに籠って泣くこともあり、言わざるを得なかったという感じでした。ただ、体型の変化については友人や家族には言えなくて、会わない方向に持っていくことで言うことを避けていました。

なつき:私は精神科に通っていたので、医師や看護師さんには話していましたが、学校では完全に隠していました。家族も私が過食しているのは気づいていたと思いますが、特に触れてこなかったですし、自分からも話しませんでした。

――病院以外では話さなかったんですね。病院の先生や看護師さんは信頼していたんですか?

なつき:看護師さんは信頼していたと思います。先生には聞かれたら答える、という感じでした。病院だからこそ話していたというところもあります。

ほのか:私も通院はしていたので医療者には話していましたが、それ以外ではほとんど話していませんでした。高校を中退してから上京して大学に進学したので、体型の変化を知っている人が周りにいなかったのも大きかったです。大学では、摂食障害のことを言うと気を使われたり誘われなくなったりするのが嫌で、自分からは言いませんでした。

なつき:主治医に食べたものを書き出すよう言われたけど、量が多くて大変だし、見せても特に反応がなく、なぜこれをするのかわからなかったです。過食のつらさを話しても受け止めてもらえた感じはなかったです。看護師さんは信頼してたけど、過食のときは心配されず、拒食になった時だけ心配されました。非嘔吐過食は心配されないんだ、わかってもらえないんだって思いました。

すん:私の場合、拒食から徐々に過食になっていきました。職場で泣くほど自己嫌悪が強く、体型の変化もつらかった頃に、ただのストレス食いではないと思い始めました。でも病院に行っても「ただの食べ過ぎ」と言われるのが怖くて、最初は気功のような民間療法に通いました。ただ合わなくて、どんどん太っていく中で「何とかしたい」と思い、大学院の学生相談を通じて保健センターから精神科に繋がりました。

ほのかさん

――いつ頃自分が「病気」だと思いましたか?

ほのか:私は最初から非嘔吐過食だと自覚がありました。止められない感覚が普通の食事と違っていて、拒食から過食に移行するケースがあるという知識もあったので、自分はそうなんだなって。拒食のときから通っていた地元の病院にそのまま通い続けていました。

なつき:大学に入って飲み会などで「食べるのって楽しい」と思ったあと、すぐに自分のコントロールが効かなくなった感覚がありました。そこから過食になったと思います。

――過食の症状特有の辛さについて理解されないと感じませんでしたか?

なつき:精神科病棟に入院していたとき、過食がつらいと話したら看護師さんに「自分もやけ食いするよ」「ストレスたまると食べちゃうよね」と言われたことがあって、「それとは違うんだよ」って思いました。理解されにくい症状だなって痛感しました。

“吐かない過食”は軽くない —わたしたちが向き合ったこと② へ続く